福井から派遣されていた前任の方から11月30日に業務の引き継ぎを受け、12月1、3,4日と業務につきました。入居者とスタッフの名前と介護方法のメモを取りつつ主に排泄介助を行っていますが、その施設の介助方法に戸惑いつつ、帰宅してからは自身の腰痛防止と緩和に多くの時間を割いています(あと洗濯もね)。5、6日と連休をいただいていたので、車で福島第一原発の横を通り、浪江町~相馬市~宮城市~気仙沼市へ向けて北上。
国道6号線は全線通行可能ですが、途中に帰宅困難区域(注釈1)も通ります。そこでは車を止めることは出来ず、道の両側のガードレールの隙間(民家の玄関前)はすべてバリケードが設置してありしました。たぶん不法侵入防止のための措置であると思います。帰宅困難地域前には警察官が常駐しており、パトカーとも頻回にすれ違います。朝早く出発したため、同地域を通過する頃は少し空が明るくなった程度でした。カーナビを見ていると右手に福島第一原発の表示があり、林の向こうに少しだけ建屋とクレーンらしきものが見えました。
同地域を超えた先は住居制限区域(注釈2)、避難指示解除準備区域(注釈3)となり、そこまで来ると田畑や空き地には除染作業で出た放射性廃棄物を入れていると思しき黒い袋が沢山見ることができます。そこを過ぎると相馬市、宮城県と続きますが、通過中そこに住民の日常を垣間見ることは出来ず、人っ子一人いない(喩が悪いかもしれませんが)ゴーストタウンでした。太平洋側はよく晴れていて人の往来も活発で、原発周辺とあまりに違う雰囲気が対象的です。
区域図
福島第一原発の方角
国道6号線の様子
気仙沼市までは高速道路を使わず(一部自動車専用道路を通りましたが、加齢に伴う視力低下か?、速度が上がると怖いので高速道路に入りたくない)6時間かかりました。2012年10月以来の気仙沼市です。まだまだ沢山の仮設住宅があり、そこに住んでおられる方を訪ね再会を喜び、近況を話し合いました。ある女性は体調がすぐれず仕事に入れない日があり、来年には新たな仮設住宅に変わるそうです。また別の仮設住宅を訪ね、そのお宅は要介護の母とその娘さんご夫婦の住まいなのですが、お母さんはデーサービスに行っておられ会うことは出来ませんでした。
娘さん曰く「新築で家を建てました。来年は一家そろってお引越し。でもローンがたくさん残って!」と苦笑い。お母さんは元気にしていると聞き安堵しつつ、震災当時知り合いとなった方々の住まいを後にしました。被災者の中でも、これからも仮設住宅での生活となる方もいれば、収入の糧があり自らの生活を築く事も出来る人もいる。高齢者、病気を抱える人、障害者といった社会的弱者ほど生活再建が難しい現状を垣間見た気がします。
そこから帰路に就くのですが、途中南三陸町と石巻市の大川小学校跡を訪ねました。両地は2012年に同僚と訪れた場所であり、南三陸町(他の被害にあったところも同様)市街地は多くの場所で地盛り作業中で、土砂が高く積み上げてありました。ただ防災庁舎は鉄骨むき出しの震災当時そのままで、今も献花に訪れる方が絶えません。大川小学校もそのままとなっており、興味本位で訪れることはふさわしくない場所である事は変わってません。
道中三陸海岸は2012年に通った時と比べ、復興工事の車両のタイヤに付く泥で汚れ粉じんがまっており、本格的に復興工事が続いていると感じることができました。間借りしているアパートまでは来た道で帰るのですが、福島第一原発周辺を通過する頃はどっぷり暗がりとなり、朝通った時とまた違う印象を受けます。
通過する間の20㎞程は国道の外灯しかなく、他の車は猛スピードで走っており、その流れについていくのが大変でした。ドライバーの心理に「早く通過し、少しでも被ばくを少なく」との考えがあるのか?と思いつつ・・・。
避難指示解除準備区域を過ぎたあたりに花ぶさ苑があります。原発周辺にある施設はその立地条件から、やはり今も原発事故の影響を受けていると言えます。だって区域を過ぎて2~3㎞の所も人が住んでいる様子がない。
今回の東北への往復で、震災から復興が進んでいる部分と、そうでない部分を見た気がします。傷口からの出血が止まり、血が固まって瘡蓋となり、その下に新しい皮膚が再生されるように、着実に復興が進んでいる人や地域がある一方で、そうでない部分が今もある。原発周辺のあの異様な光景は、事故は終息に至っておらず(底の空いた容器に水を注ぎ、溶け落ちた核燃料を冷やし続けている)、もし万が一冷やせなくなったら、幾つかの市町村にまたがる今の区域以上の広範囲な土地を追われることになる事を表していると感じます。
まだこの国の傷は癒えていません。
ながれすぎ光風苑 R,T より
注釈1:特別な許可がなければ、立ち入りできない地域が、帰宅困難区域です。立ち入り禁止で、国道には検問があります。
現在の放射線の年間積算線量が50ミリシーベルトを超えており、5年後も20ミリシーベルトを下回らない可能性のある地域です。
注釈2:その地域に住むことはできません。許可がなければ泊まることもできません。お店を開いて商売もできません。例外的に
復興作業に必要なガソリンスタンドなどは開くことができます。ただし住居制限区域は、特別な許可がなくとも自由に入ることが
できますが住んでいる人もいません。放射線の年間積算線量が20~50ミリシーベルトの地域です。
注釈3:この地域には、特別な許可がなくても入ることができます。特別な許可がなければ自宅などに泊まることはできませんが、
会社や店を開くことはできます。